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2011年12月29日木曜日

香椎浜の異空間

ちょっと間が空きました。

その間2カ月。
6分の1年もブログをほったらかしにしてしまいました。
すまん。

で、その間何もしていなかったのか、というと、その通り。
ちょっと遠くまでふらふらとはするものの、ラーメンもうどんも定食屋も行かず、目立って珍しい場所に行くことも無く、ただただ漕いで、ぶらりと帰ってきていました。
たまに風呂屋に寄って汗流すくらい。

あぁ、今年もこのまま終わるなぁと思っていたのだけれど、友人がFacebookでシェアしたとあるページを見て、最後のひとっ走りを決めた。

年内最後のコースは志賀島。
行きはいつもの通り、風がびゅんびゅんと吹く大橋を渡り、いざ、海の中道を通り……。
いやー、無理でした。
ちょっと冬の寒さを甘く見ていた。
ヒートテックとワッフル生地のサーマル、ウィンドブレーカという装備で出かけたものの、橋の上の吹きさらしで芯まで冷え切って朦朧としてきたので、自販機でコーンスープとミルクティを立て続けに補給。
この状態で海っ端を走るなんて無理と判断し、和白のほうへとぐるりと回り……
以下の地図のようなルートを取った。

大きな地図で見る

この凍えた身体を温めるのは、名島亭の温かいラーメンと、大将のじんわりと沁みる接客しかない!とはやる気持ちを抑え、本来の目的である香椎浜に向かった。

このあたりは自転車で何度も通ったことがあり、そのたびに妙なものが建っているなぁと思っていた場所で、気になっていた場所ではあった。

それが、先日知人のFacebookに、著名な建築家たちがデザインしたマンション群だという記事がシェアされていて、あーっ!これ!となった次第だった。

それならそうと改めて見に行ってみようか、というわけで行ってきました。

石垣のような黒い部分がぬらぬらとして異様。


これです。石垣!

カラフル!
割とふつう。
どでかいタワー。

携帯のカメラじゃ相当離れないと入りきれない巨大な門のようなマンション
打ちっぱなしでも一味違う印象。

正直なところ、建築に対してそう見識があるわけではないので、へぇ、ほぅという程度の感想しか受けなかったのだけれど、福岡にはこんなものもありますよ、というご紹介までに。


ちなみにこのマンション群についての詳しい説明はこちらでご覧下さいな。
とても個性的な建築群のようでありつつも、周りの没個性的な団地に呑まれているような感じもあり、ちょっと不思議な感じのするエリアですね。

ただ、個人的にピクッと来たのはやはりこういう昭和テイスト。
いい感じに古い団地。棟番号が4桁……。

この団地はさておき、この日もこのネクサス周りには、一眼レフを首から下げて撮影している人がいたので、きっとその道の人にとってはやっぱり有名な場所なのでしょう。

天気のいい日だとカラフルな建物がきれいでおすすめのスポットですね。

そんなこんなでざっとネクサス的な場所を見た後は、ラーメン。
目指すはラーメン。
近頃うどん胃だったけれど、この時ばかりは口がラーメンになっていた。

そして非情な定休日の水曜日。しょんぼりする間もなく胃袋が代替案を見つけ、それならばと300メートル向こうの泰洋軒は28日は誠に勝手ながら休業とさせていただきますという貼り紙。

空きっ腹を抱えてさあどうしよう、あぁ、腹減った、どこかないか、と自転車でさまよい歩いているうちに、たどり着いたのは春吉のHANAMARU厨房。
大盛りトルコライスで福岡のフードファイターの定番店。
あまりにも腹が減りすぎて、盛りの良さという点一択。

出てくるなりパクついてしまってきれいな状態の写真を撮りそびれたので、参考リンクでもご覧ください。
このレベルの量になると、ビジュアルから食べ物らしさが失われがちなのが残念でならない。

腹が減ったという勢いだけで昼の3時にこの量を食べてしまい、夜はお茶で済ませ……るわけもなく、酒飲んで寝た。

そんな締まりの無い2011年のラストポタリング。
来年一発目はいつになるのかどこになるのか。

あったかいものを食べに行きたいなぁ。

良いお年を……。

2011年10月29日土曜日

ちょっとした坂

福岡市内はかなり平坦だ。
山らしい山も、谷らしい谷もない。
せいぜいが丘くらいのものだ。
もちろん、中心部を少し外れると、夜景のきれいな山くらいあるけれど、中心部はつるりとしたものだ。


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上の地図でAのサインから北西にむかって広がる緑が、街中ではせいぜい丘と呼べそうな場所だ。
なので、幕末から明治のあたりの西南の役だかなんだかの戦では、周りがひらたすぎたので、そこに陣が張られたとか。

Googleマップの地形図モードでも大した坂じゃないように見えたため、軽い気持ちでアタックすることにした。
ただアタックするのじゃつまらないので、丘を越えた先にある、トンデモ史跡を目指すことにした次第。

坂はぼちぼちの急こう配で、一か所、ここで転んだら止まらないだろうなというくらいの斜度のところがあった以外は、ちょい坂で、体力があまっているときはここをアタックしたほうが、ぐるりと回るより間違いなく早いはず。

坂を下りて着て振り向くときれいな薄い青空が広がっていて、秋の心地よさが感じられた。
この坂で時速50キロオーバー。市街地の道でこれをやると死ねるからもうしない。

この交差点からもうすぐに、お目当ての場所はある。
その場所は、どういう場所か?
こういう場所だ。

・赤穂四十七士の墓がある。
・福岡城から秘密のトンネルがつながっているという噂がある

そりゃ気にもなる。行ってみたい。
ということで一度行ったことがあるのだけれど、まー、なんというか、半分期待外れで半分期待以上、というところか。

お寺の名前は
興宗寺。禅宗のお寺だ。
立派な門。瓦が迫力ある。

ねぎにらにんにくらっきょう酒禁止

禅宗は門のわきに「不許葷酒入山門」と掲げてある。葷酒(くんしゅ)ノ山門ニ入ルヲ許サズと読み、においの強いニンニクやニラとかお酒をこの門より持ち込んではいけない、という意味だ。
心を無に座禅を組んでいるときに、揚げにんにくの香りがぷーんとしてきたら……、無理なもんは無理だね、確かに。

と、前夜に何食べたっけなぁと息を吐いてにおいを確認しつつ石段をトトトと上る。
門をくぐると右に林がある。
その入口のところに、こういう石碑が、立っている。
四十七義士?? 
四十七士といえば赤穂藩だから、兵庫県。
しかも葬られたのは江戸は泉岳寺……。
はてさて。
大石内蔵助だけ祠つきの特別扱い。
なんでも、四十七士にいたく感銘を受けたという篤志家(っていうか奇特家でしょ)が、昭和の初めごろに、私財をなげうって、泉岳寺と同じ曹洞宗というこの興宗寺に、泉岳寺の作りをそのまま再現した「大変貴重な史跡」らしい。
何度この文章を読みかえしても、現在も本家本元が完璧に残っているのに、コピーがなぜに「大変貴重」??というところで引っかかる。
何がどう貴重なんだろうか。
まぁ、面白いから良いけれど。
泉岳寺を訪問したことはないけれど、写真で見る限り、かなり忠実に再現してあるようなので、お暇な方はぜひぜひ。

その四十七士のお次は山の上に続く石段を上った先にある。
石段は古く、ぼろぼろで雨の日は踏み外し注意
下から見えている建物の中にはこんな絵が飾ってある。
平和「祈」念じゃないの? 普通。
そしてそのすぐ向こうには穴が口をあけている。
この奥に観音さまがある
なかは薄暗く、秋の夕方に一人で行くと、ちょっと背筋がうすら寒くなる。

なかには穏やかな顔の仏様がいらっしゃる。
なんとも穏やかな顔をしてらっしゃいます

もともとこの観音様のある小高い丘は、古墳だったそうで、江戸時代に福岡城を築城するまではその辺に古墳がごろごろしていたエリアということだ。
築城の際に大きな石が必要になり、古墳をどんどんつぶして石を運び、今残っているのがここくらいのものだそうだ。
その際に、古墳に祀られていた大昔の人に、すみません、石もらいます、ということで観音様を祀ったんだとか。
そしてこの観音様が祀られている石洞が実ははるか海のほうの福岡城までトンネルが伸びているという噂もある。
そんな噂を体当たりで確かめようとする不心得者除けのためか、仏様が座敷牢のようなところに閉じ込められてしまっているのだろうか。
アレさえなければ……。

ここで、穴観音を後にし
さらば穴観音

博多のうどんの雄「うどん 平」へ。
博多駅からキャナルシティに向かう途中の路地にあってわかり辛いかと思いきや、ランチタイムには長蛇の列ができているので案外わかるかもしれないお店。

ここの定番はえび天とごぼう天のダブルトッピングだけれど、揚げもの二つ乗せる気分じゃなかったので、肉とごぼう天。
下の余白の美。
ここも典型的な博多のうどんで、スメはさらり、うどんもむにゅり。
讃岐派のひとからは全否定されそうな感じだけれど、これはこれでうまい。
特に肉うどんにして少し甘みが加わったときのじんわりと滋味あふれる感じがほっとさせてくれる。

さーて、来週はどこに行こうかな。

2011年10月22日土曜日

遠い昔の名残り

たまに飲み行くバーのマスターは60歳近い脱サラした元営業マン。

毎日歩きまわって、いろいろな人にあっていただけあって、福岡の街に詳しい。

あの店ができる前にはコレコレこういう店が入っていて、近所の人たちはナントカと呼んでたんだよ、とか、そういう街のちょっとした面白話をしてくれる。

そして年に本を365冊読むという本の虫で、流行作家からSF、歴史物、目にとまったムック本などジャンルのこだわりなくなんでも読む。

その人のバーの本棚は、彼の読書遍歴が凝縮されており、とても面白い。

なかでも、1970,80年代のタウン誌やグルメ情報誌が置いてあって、飲みながらぱらぱらとめくってみる時間が好きだ。

そういうのを眺めていると、15年前に福岡に引っ越してきた時の記憶が徐々によみがえってくる。

そういえば、あのころあったビルはいつの間にか解体されていまは違うビルが建っているな、とか。

この空き地、昔はテナントがたくさん入ったビルが建っていたのになぁ、とか。


大きな地図で見る

そうして、思い出したのが、清川、というエリア。

以前、ロータリーを紹介したあの場所だ。

清川には行きつけのラーメン屋があり、そこで、魚介豚骨をすすりながら、そういえばこのあたり、10年くらい前まではそこらここらに風俗店があったのに、いまはもう一軒もなくなってしまっているなぁ、とふと思い、先日調べてみた。

すると、軒並み店を閉じた理由は、締め付けの厳しさだったようだけれど、意外な知識がついてきた。

この清川のあたりが「柳町」と呼ばれていて、戦後しばらくして廃止になるまでは赤線だったというのは知っていたけれど、実のところここは「新柳町」であって、「柳町」はもともと博多にあったらしいというのだ。

まだ博多駅がもう少し海寄りにあり、博多が商業の中心地だったころ、博多港の周りはそれはにぎわっていたそうで、そういう賑わいの周りには、商店、飲食店、宿泊施設、そして花街が当然のようにあったそうだ。
旧博多駅跡地の公園の傍らに、九州最後のピンク映画館がある。


その旧柳町というか、元祖柳町は、いまは神屋町と呼ばれるエリアに当たる。そこから大博通りを挟んで御笠川までの大浜という地区が赤線だったということだ。

大浜という名前はもう今はなく、その名残を残していた大浜小学校も数年前に博多小学校に統合された。

神屋町は古くから花街として栄えたらしいが、いまでも目にすることができる当時の娼館というか置屋の名残は、すべて戦後に建てられた、当時としてはモダンな建築が多いそうだ。

実は、西鉄の駅に三越が入り、高架化されたぐらいから(15,6年前)、福岡の街は博多も含めて大きく変わり始め、福岡西方沖地震がそれを決定づけ、それまで50年あったものがここ10年でどんどんなくなっていっている。

この博多部の片隅に残る娼館の跡もいつ駐車場やマンションになってしまうかわからないらしい。

それはいかん!と思い、さっそく散歩にいってきた。
ネットで調べたら出てくる、神屋町にいまでものこる売春宿の跡とおなじ建物を探してだいぶんうろうろした。
大小の光沢のあるタイル、波型の瓦が特徴的な「カフェー建築」
この豆タイルがはってあり、目立つ色で装飾してある独特の様式の建築物をどうやらカフェー建築と呼ぶらしい。

このカフェーとはきっと、お茶をするいわゆるカフェではなく昭和初期の”女給”がいた「カフェー」から来ているのだろう。

まだ中高生だったころは、文学史を学べば喫茶店の店員がやたらとそういう文士と心中してみたり、谷崎の痴人の愛でも女給と色恋しているのを不思議に思っていたものだった。

ほかにはこんな窓枠の建物も。
窓枠もだけれど、ガラスも渋い。
ここは他の建物と違って建物として現役でした。
ひとつだけ探しきれなかった建物があるので、またの機会にでも行ってみようと思う。

近所の冷泉公園では、
オクトーバーフェスト福岡会場 開催前日

翌日の金曜日21日から始まるオクトーバーフェスト福岡の準備が着々と進んでいた。


冬はまだまだだけれども、昼間の日差しもだいぶん傾き、和らいできた。

もー、11月。気がつけばすぐに街にクリスマスソングが流れだすんだろうなぁ。