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2011年10月29日土曜日

ちょっとした坂

福岡市内はかなり平坦だ。
山らしい山も、谷らしい谷もない。
せいぜいが丘くらいのものだ。
もちろん、中心部を少し外れると、夜景のきれいな山くらいあるけれど、中心部はつるりとしたものだ。


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上の地図でAのサインから北西にむかって広がる緑が、街中ではせいぜい丘と呼べそうな場所だ。
なので、幕末から明治のあたりの西南の役だかなんだかの戦では、周りがひらたすぎたので、そこに陣が張られたとか。

Googleマップの地形図モードでも大した坂じゃないように見えたため、軽い気持ちでアタックすることにした。
ただアタックするのじゃつまらないので、丘を越えた先にある、トンデモ史跡を目指すことにした次第。

坂はぼちぼちの急こう配で、一か所、ここで転んだら止まらないだろうなというくらいの斜度のところがあった以外は、ちょい坂で、体力があまっているときはここをアタックしたほうが、ぐるりと回るより間違いなく早いはず。

坂を下りて着て振り向くときれいな薄い青空が広がっていて、秋の心地よさが感じられた。
この坂で時速50キロオーバー。市街地の道でこれをやると死ねるからもうしない。

この交差点からもうすぐに、お目当ての場所はある。
その場所は、どういう場所か?
こういう場所だ。

・赤穂四十七士の墓がある。
・福岡城から秘密のトンネルがつながっているという噂がある

そりゃ気にもなる。行ってみたい。
ということで一度行ったことがあるのだけれど、まー、なんというか、半分期待外れで半分期待以上、というところか。

お寺の名前は
興宗寺。禅宗のお寺だ。
立派な門。瓦が迫力ある。

ねぎにらにんにくらっきょう酒禁止

禅宗は門のわきに「不許葷酒入山門」と掲げてある。葷酒(くんしゅ)ノ山門ニ入ルヲ許サズと読み、においの強いニンニクやニラとかお酒をこの門より持ち込んではいけない、という意味だ。
心を無に座禅を組んでいるときに、揚げにんにくの香りがぷーんとしてきたら……、無理なもんは無理だね、確かに。

と、前夜に何食べたっけなぁと息を吐いてにおいを確認しつつ石段をトトトと上る。
門をくぐると右に林がある。
その入口のところに、こういう石碑が、立っている。
四十七義士?? 
四十七士といえば赤穂藩だから、兵庫県。
しかも葬られたのは江戸は泉岳寺……。
はてさて。
大石内蔵助だけ祠つきの特別扱い。
なんでも、四十七士にいたく感銘を受けたという篤志家(っていうか奇特家でしょ)が、昭和の初めごろに、私財をなげうって、泉岳寺と同じ曹洞宗というこの興宗寺に、泉岳寺の作りをそのまま再現した「大変貴重な史跡」らしい。
何度この文章を読みかえしても、現在も本家本元が完璧に残っているのに、コピーがなぜに「大変貴重」??というところで引っかかる。
何がどう貴重なんだろうか。
まぁ、面白いから良いけれど。
泉岳寺を訪問したことはないけれど、写真で見る限り、かなり忠実に再現してあるようなので、お暇な方はぜひぜひ。

その四十七士のお次は山の上に続く石段を上った先にある。
石段は古く、ぼろぼろで雨の日は踏み外し注意
下から見えている建物の中にはこんな絵が飾ってある。
平和「祈」念じゃないの? 普通。
そしてそのすぐ向こうには穴が口をあけている。
この奥に観音さまがある
なかは薄暗く、秋の夕方に一人で行くと、ちょっと背筋がうすら寒くなる。

なかには穏やかな顔の仏様がいらっしゃる。
なんとも穏やかな顔をしてらっしゃいます

もともとこの観音様のある小高い丘は、古墳だったそうで、江戸時代に福岡城を築城するまではその辺に古墳がごろごろしていたエリアということだ。
築城の際に大きな石が必要になり、古墳をどんどんつぶして石を運び、今残っているのがここくらいのものだそうだ。
その際に、古墳に祀られていた大昔の人に、すみません、石もらいます、ということで観音様を祀ったんだとか。
そしてこの観音様が祀られている石洞が実ははるか海のほうの福岡城までトンネルが伸びているという噂もある。
そんな噂を体当たりで確かめようとする不心得者除けのためか、仏様が座敷牢のようなところに閉じ込められてしまっているのだろうか。
アレさえなければ……。

ここで、穴観音を後にし
さらば穴観音

博多のうどんの雄「うどん 平」へ。
博多駅からキャナルシティに向かう途中の路地にあってわかり辛いかと思いきや、ランチタイムには長蛇の列ができているので案外わかるかもしれないお店。

ここの定番はえび天とごぼう天のダブルトッピングだけれど、揚げもの二つ乗せる気分じゃなかったので、肉とごぼう天。
下の余白の美。
ここも典型的な博多のうどんで、スメはさらり、うどんもむにゅり。
讃岐派のひとからは全否定されそうな感じだけれど、これはこれでうまい。
特に肉うどんにして少し甘みが加わったときのじんわりと滋味あふれる感じがほっとさせてくれる。

さーて、来週はどこに行こうかな。

2011年10月22日土曜日

遠い昔の名残り

たまに飲み行くバーのマスターは60歳近い脱サラした元営業マン。

毎日歩きまわって、いろいろな人にあっていただけあって、福岡の街に詳しい。

あの店ができる前にはコレコレこういう店が入っていて、近所の人たちはナントカと呼んでたんだよ、とか、そういう街のちょっとした面白話をしてくれる。

そして年に本を365冊読むという本の虫で、流行作家からSF、歴史物、目にとまったムック本などジャンルのこだわりなくなんでも読む。

その人のバーの本棚は、彼の読書遍歴が凝縮されており、とても面白い。

なかでも、1970,80年代のタウン誌やグルメ情報誌が置いてあって、飲みながらぱらぱらとめくってみる時間が好きだ。

そういうのを眺めていると、15年前に福岡に引っ越してきた時の記憶が徐々によみがえってくる。

そういえば、あのころあったビルはいつの間にか解体されていまは違うビルが建っているな、とか。

この空き地、昔はテナントがたくさん入ったビルが建っていたのになぁ、とか。


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そうして、思い出したのが、清川、というエリア。

以前、ロータリーを紹介したあの場所だ。

清川には行きつけのラーメン屋があり、そこで、魚介豚骨をすすりながら、そういえばこのあたり、10年くらい前まではそこらここらに風俗店があったのに、いまはもう一軒もなくなってしまっているなぁ、とふと思い、先日調べてみた。

すると、軒並み店を閉じた理由は、締め付けの厳しさだったようだけれど、意外な知識がついてきた。

この清川のあたりが「柳町」と呼ばれていて、戦後しばらくして廃止になるまでは赤線だったというのは知っていたけれど、実のところここは「新柳町」であって、「柳町」はもともと博多にあったらしいというのだ。

まだ博多駅がもう少し海寄りにあり、博多が商業の中心地だったころ、博多港の周りはそれはにぎわっていたそうで、そういう賑わいの周りには、商店、飲食店、宿泊施設、そして花街が当然のようにあったそうだ。
旧博多駅跡地の公園の傍らに、九州最後のピンク映画館がある。


その旧柳町というか、元祖柳町は、いまは神屋町と呼ばれるエリアに当たる。そこから大博通りを挟んで御笠川までの大浜という地区が赤線だったということだ。

大浜という名前はもう今はなく、その名残を残していた大浜小学校も数年前に博多小学校に統合された。

神屋町は古くから花街として栄えたらしいが、いまでも目にすることができる当時の娼館というか置屋の名残は、すべて戦後に建てられた、当時としてはモダンな建築が多いそうだ。

実は、西鉄の駅に三越が入り、高架化されたぐらいから(15,6年前)、福岡の街は博多も含めて大きく変わり始め、福岡西方沖地震がそれを決定づけ、それまで50年あったものがここ10年でどんどんなくなっていっている。

この博多部の片隅に残る娼館の跡もいつ駐車場やマンションになってしまうかわからないらしい。

それはいかん!と思い、さっそく散歩にいってきた。
ネットで調べたら出てくる、神屋町にいまでものこる売春宿の跡とおなじ建物を探してだいぶんうろうろした。
大小の光沢のあるタイル、波型の瓦が特徴的な「カフェー建築」
この豆タイルがはってあり、目立つ色で装飾してある独特の様式の建築物をどうやらカフェー建築と呼ぶらしい。

このカフェーとはきっと、お茶をするいわゆるカフェではなく昭和初期の”女給”がいた「カフェー」から来ているのだろう。

まだ中高生だったころは、文学史を学べば喫茶店の店員がやたらとそういう文士と心中してみたり、谷崎の痴人の愛でも女給と色恋しているのを不思議に思っていたものだった。

ほかにはこんな窓枠の建物も。
窓枠もだけれど、ガラスも渋い。
ここは他の建物と違って建物として現役でした。
ひとつだけ探しきれなかった建物があるので、またの機会にでも行ってみようと思う。

近所の冷泉公園では、
オクトーバーフェスト福岡会場 開催前日

翌日の金曜日21日から始まるオクトーバーフェスト福岡の準備が着々と進んでいた。


冬はまだまだだけれども、昼間の日差しもだいぶん傾き、和らいできた。

もー、11月。気がつけばすぐに街にクリスマスソングが流れだすんだろうなぁ。

2011年10月14日金曜日

おポンプ様→「お」+外来語は本来間違いです!

ちょっと想像してみてください。
どうですか、こんな休日。

休みだからとダラーダラしているとあっという間に昼になり2時になり3時になり、部屋に西日が差してきて、あぁ、これじゃいかんと着替えて出かけるとしましょう。
でも、その時間から何をしようにも中途半端で、結局行きつけの飲み屋のクチアケをしちゃって、「あれ、今日お休みですか?」→「あ、わかっちゃいました?うひゃひゃひゃ」というワンパターンを繰り返すんです。

嫌いじゃない。だけれども、もったいない。

わかっちゃいるけど、やってしまうんですよね、休日前の夜更けの飲酒。
今回は、テレビ放映された分を録画しておいた「ゴールデンスランバー」をもう寝るよ、というタイミングで見はじめたのが良くありませんでした。
ウイスキーをソーダで割りながら飲んでいたのですが、ソーダが切れたのでロックで。
冷蔵庫にカツオの佃煮があったのでそれをもそもそ噛みながらだと、くいくい入ります。
ところどころでぐっと胸が熱くなって涙をにじませながら、わかるよ~わかるよ~、なぁ~って鼻をすすっていたら、カーテンがうっすらと青く、夜明けの前触れを知らせていました。
はー、そんな時間かーと思いつつ寝る支度をしてバタン。
起きて昼ちょっと前。
さて、天気もいいし遠出したかったけれど、ちょっと野暮用があったので今週はお預けです。

用事を済ませる前に博多でお昼を済ませました。
行った先は「かろのうろん」。
福岡でも1,2を争ううどんの有名店です。
福岡でうどんって……と思うかもしれないけれど、ローカルには豚骨ラーメンよりもよく食べられています。
店構えはこれ。120~30年くらいの老舗です。
かろのうろん→「角のうどん」が訛ったらしい。

ガイドマップにも載っている老舗の有名店ですが、まぁ、当たり前のうどん屋です。
でもここ10年くらいで400円ちょっとだったごぼ天うどんが500円にまで値上がりしたのは残念か。
うどんのゆで具合は博多らしいぶにゅぶにゅ。
あ、カシワおにぎりが切れた。

讃岐うどんブームでうどんに目覚めた人が食べたら怒りだすくらいの柔らかさ。
だし(このあたりの方言では「すめ」と言います)は普通にカツオとか昆布とか入ってそうな味に強めの塩味とうっすらしょうゆの香り。

うどんのお供と言ったらここらではお稲荷さんよりもカシワおにぎり。
鶏がすこーし入った炊き込みご飯で、博多らしく甘めの味付けです。
柔らかいうどんさえ許容できるのなら、お勧めの定番店です。

ごちそうさまです。
店の表には食品サンプルが。こうあるべき。
ここで、野暮用を済ませ、あとは博多のあたりをぶらぶら。

博多駅から海のほうに向かうと、寺密集エリアがあります。
その中でも国の史跡に指定されている聖福寺はしずかで日陰も多く、散歩中の一休みにはうってつけです。
日本初の禅寺で、中国から始めてお茶が持ち込まれたお寺でもあったようですよ。
檀家さんじゃないと入れないところも多いので気をつけて。
ちなみにこのお寺、あの玄洋社の初代社長 平岡浩太郎の菩提寺です。

さて、このお寺からちょっと南に下ると、変わった石碑のあるお寺があります。
承天寺です。
この門の左にあるのが山笠発祥の地の石碑
見たままです。

博多の人の間では山笠発祥のお寺として認識されていますが、ほかにも発祥のものがあります。
うどん、そば、まんじゅうです。
左が饂飩蕎麦、真中が饅頭、右が博多織の石碑
アップで。「饂飩蕎麦発祥之地」

中国から粉物文化を持って帰ってきて、日本で作り始めたのがここだそうです。
高野山だとか、蕎麦は中部日本だとか諸説ありますが、一応、ここもそのうちのひとつなので、話のタネにでも。

日本初博多発ネタはこれくらいにして、今日のタイトルのおポンプ様を紹介します。
博多駅から海のほうにまっすぐ伸びる大博通りの広い歩道にポツンとあります。

あら? なんだこれ?
ポンプです。

「おポンプ様」だ!
そう、おポンプ様です。

福岡の人でもめったにこの存在を知っている人はいません。
以前おポンプ様の前を通ったとき、調子に乗ってそうな学生たちが暑さが脳に回ったかのように騒ぎながらガッシュガッシュとポンプを漕いで水を出しているのを見て気がついた次第です。
なんでも昔はよそにあったのを持ってきて移設したそうで、日照りになって何があっても水を枯らすことなく市民を潤したことで「おポンプ様」と敬意を込めて呼んでいるようです。

まぁ、そんないきさつがあろうが無かろうが、語感のなんとも言えない間抜けさには関係ありません。
おポンプ様。
「お」から「ポ」への流れが笑いを誘っているのではないかと思います。

大博通りのおポンプ様をネットで調べると、播磨屋のホームページが出ると思いますが、いい感じにアレなので良かったら、どうぞ。

さて、博多部は掘れば面白いのでまたの機会をお楽しみに。

2011年10月10日月曜日

極東の島国でもオクトーバーフェスト

10月になりました。

残すところ3か月です。
こういうときに12からただ引き算をしちゃって、あと2カ月って間違っちゃう人がいますが、わからんでもないですね。
でも、3か月です。

そんな10月です。
10月はオクトーバーですね。
オクトーバーといえばフェストですね。
ドイツはバイエルン州の都市、ミュンヘンで毎年9月から10月にかけて開催される、ビール祭り、オクトーバーフェスト、です。
もともとは、日本酒でいうところの酒蔵開きのようなもので、ビール醸造の新シーズンがやってきたぞー!というお祭りです。
200年前に始まったお祭りだそうですよ。

このミュンヘン、いや、ミュンヘンに限らずヨーロッパの都市って、日本のその辺にある都市と同じような感覚で想像していませんか?
もちろん遠い異国の地であることは分かっているけれど、です。
というのもこのミュンヘン、緯度で言うと樺太です。網走や知床、旭川よりも北にあります。
ちょっと意外じゃありませんか? え! そんな北にあるの!?みたいな。
もちろん、、気候なんてものは海流から季節風、高度や内陸度などなど数多くの要素要因があって決まるものなので、北のほうにあるから無条件に寒いというわけではないんですが、さすがに樺太並みの緯度にあると寒いものはそれなりに寒いようです。

というわけで本場ミュンヘンのオクトーバーフェストは調子に乗って飲みすぎて寝こけてしまうと、運が悪かったら凍死ししてしまうそうです。

殺してみろーっ!ということで10月7日に乗り込んだのは福岡で最もドイツな場所、バイエルン福岡。
あのドイツの強豪バイエルンミュンヘンのオフィシャルライセンスを日本で初めて取得したスポーツバーレストランです。パン屋もやってます。
ブンデスリーガやバイエルンミュンヘンのファンはぜひ行ってみてはどうでしょう、。

10月7日はバイエルン福岡のオクトーバーフェスト初日ということもあり、友人何人かとビールに殺されに行ってきました。

まずはクローンバッハというピルスタイプの飲みやすいビール
ハムとソーセージの盛り合わせ+カレー粉がかかった甘たれソーセージ

ケストリッツアーという黒ビール
旨味というか味が濃い

オクトーバーフェスト用のアルコール度数高めのスペシャルビール

こいつはうまかった! 樽生!

という流れですが、合計10杯ほど行ってしまいました。
水だとそんなに入らないのにビールだと入ってしまう不思議。
そりゃ、目の前でこうして樽を開けてくれて
白いキャップの兄さんに隠れているけど、樽から注いでます!
生演奏で歌ってくれて
オクトーバーフェストの期間中だけのスペシャル
こんな腹が鳴りそうなごちそうがドンとでてきたら
カレーコロッケ、フレンチフライ、キッシュ、スペアリブ
ビーフシチュー、ソーセージ、ザワークラウト、ピクルス!!
そして、福岡でも人気のパン屋、サイラー特製のプレッツェルまでそろっているともなれば
表面の大きな塩の結晶がうんまい!


杯をなかなか置けません。

いやー、ビールは夏だけじゃないねー。
来週には博多山笠で有名な櫛田神社の隣の冷泉公園でもオクトーバーフェストが開かれるそうなので、そっちもやっつけに行ってきます。

やれるもんならやってみろ!