山らしい山も、谷らしい谷もない。
せいぜいが丘くらいのものだ。
もちろん、中心部を少し外れると、夜景のきれいな山くらいあるけれど、中心部はつるりとしたものだ。
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上の地図でAのサインから北西にむかって広がる緑が、街中ではせいぜい丘と呼べそうな場所だ。
なので、幕末から明治のあたりの西南の役だかなんだかの戦では、周りがひらたすぎたので、そこに陣が張られたとか。
Googleマップの地形図モードでも大した坂じゃないように見えたため、軽い気持ちでアタックすることにした。
ただアタックするのじゃつまらないので、丘を越えた先にある、トンデモ史跡を目指すことにした次第。
坂はぼちぼちの急こう配で、一か所、ここで転んだら止まらないだろうなというくらいの斜度のところがあった以外は、ちょい坂で、体力があまっているときはここをアタックしたほうが、ぐるりと回るより間違いなく早いはず。
坂を下りて着て振り向くときれいな薄い青空が広がっていて、秋の心地よさが感じられた。
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この坂で時速50キロオーバー。市街地の道でこれをやると死ねるからもうしない。 |
この交差点からもうすぐに、お目当ての場所はある。
その場所は、どういう場所か?
こういう場所だ。
・赤穂四十七士の墓がある。
・福岡城から秘密のトンネルがつながっているという噂がある
そりゃ気にもなる。行ってみたい。
ということで一度行ったことがあるのだけれど、まー、なんというか、半分期待外れで半分期待以上、というところか。
お寺の名前は
興宗寺。禅宗のお寺だ。
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立派な門。瓦が迫力ある。 |
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ねぎにらにんにくらっきょう酒禁止 |
禅宗は門のわきに「不許葷酒入山門」と掲げてある。葷酒(くんしゅ)ノ山門ニ入ルヲ許サズと読み、においの強いニンニクやニラとかお酒をこの門より持ち込んではいけない、という意味だ。
心を無に座禅を組んでいるときに、揚げにんにくの香りがぷーんとしてきたら……、無理なもんは無理だね、確かに。
と、前夜に何食べたっけなぁと息を吐いてにおいを確認しつつ石段をトトトと上る。
門をくぐると右に林がある。
その入口のところに、こういう石碑が、立っている。
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四十七義士?? |
しかも葬られたのは江戸は泉岳寺……。
はてさて。
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大石内蔵助だけ祠つきの特別扱い。 |
何度この文章を読みかえしても、現在も本家本元が完璧に残っているのに、コピーがなぜに「大変貴重」??というところで引っかかる。
何がどう貴重なんだろうか。
まぁ、面白いから良いけれど。
泉岳寺を訪問したことはないけれど、写真で見る限り、かなり忠実に再現してあるようなので、お暇な方はぜひぜひ。
その四十七士のお次は山の上に続く石段を上った先にある。
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石段は古く、ぼろぼろで雨の日は踏み外し注意 |
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平和「祈」念じゃないの? 普通。 |
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この奥に観音さまがある |
なかには穏やかな顔の仏様がいらっしゃる。
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なんとも穏やかな顔をしてらっしゃいます |
もともとこの観音様のある小高い丘は、古墳だったそうで、江戸時代に福岡城を築城するまではその辺に古墳がごろごろしていたエリアということだ。
築城の際に大きな石が必要になり、古墳をどんどんつぶして石を運び、今残っているのがここくらいのものだそうだ。
その際に、古墳に祀られていた大昔の人に、すみません、石もらいます、ということで観音様を祀ったんだとか。
そしてこの観音様が祀られている石洞が実ははるか海のほうの福岡城までトンネルが伸びているという噂もある。
そんな噂を体当たりで確かめようとする不心得者除けのためか、仏様が座敷牢のようなところに閉じ込められてしまっているのだろうか。
アレさえなければ……。
ここで、穴観音を後にし
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さらば穴観音 |
博多のうどんの雄「うどん 平」へ。
博多駅からキャナルシティに向かう途中の路地にあってわかり辛いかと思いきや、ランチタイムには長蛇の列ができているので案外わかるかもしれないお店。
ここの定番はえび天とごぼう天のダブルトッピングだけれど、揚げもの二つ乗せる気分じゃなかったので、肉とごぼう天。
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下の余白の美。 |
讃岐派のひとからは全否定されそうな感じだけれど、これはこれでうまい。
特に肉うどんにして少し甘みが加わったときのじんわりと滋味あふれる感じがほっとさせてくれる。
さーて、来週はどこに行こうかな。
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