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2011年3月30日水曜日

すごいひと

食べても、散歩していもいない話をたまには。


さて、世の中は、3週間くらい前に大地震が起きて以来というもの、なんとなく沈んだムードです。
当然です。


地震が起きて、原発がおかしくなって、色々な専門家がテレビに出て、ネットで記事を書いて、いままでまったく知らなかった色々な情報に触れました。
そして、そういう情報や知識に触れれば触れるほどに、気は重くなります。
天災に対し恐れ、人災に対して怒りを感じます。


ポジティブな気持ちが塗りつぶされます。


3月29日、昨日の夜、サッカーの試合がありました。
国際Aマッチでもないチャリティーマッチでした。
日本代表とJリーグ選抜メンバーの試合でした。


試合は、日本代表が前半に2点、立て続けに得点しました。
そして後半、川口の正確無比なロングフィードを闘莉王が奇跡のようなコントロールで頭で落とし、走り込んだ選手が蹴ったボールは、全盛期のティエリー・アンリのシュートの軌道のようにキーパーの脇をえぐり、その真後ろのネットにストンとおさまりました。


破顔一笑、彼は長居スタジアムのトラック前まで駆け出し、トレードマークであるダンスを踊り、人差し指を突き上げました。


 震災以来の自粛ムード、テレビの中で白い歯を見せるだけで不謹慎とテレビ局の電話が鳴るような、息の詰まる毎日。ようやくそのムードも落ち着いてきたけれど、まだまだ何かおっかなびっくりの毎日でした。
だからでしょうか、その笑顔に、引き込まれました。


そして今日、twitterで知った記事があります。
それは日経新聞の3月25日の記事で、その選手の談話が載っています。



このたびの大震災の被災者の方々に、心からお見舞いを申し上げます。被害に遭われた方々にとって、この2週間が、その1分1秒が、どんなものだったかを思うと、おかけする言葉も見つかりません。
生きているとはどういうことなのだろう、サッカーをする意味とは何なのだろう。そういったことを見つめ直さずにはいられなかった日々のなか、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」ということ。
試合がなくなり、見に来る観客がいなければ、僕の存在意義もない。プロにとってお客さんがいかに大切か、改めて学んでもいる。
サッカーをやっている場合じゃないよな、と思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。医者に食料……、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。
でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。
未曽有の悲劇からまだ日は浅く、被災された方々はいまだにつらい日々を送っている。余裕などなく、水も食べるものもなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みは2週間では癒やされはしない。
そうした人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削る思いで必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らの方が勇気をもらっているのだから。
サッカー人として何ができるだろう。サッカーを通じて人々を集め、協力の輪を広げ、「何か力になりたい」という祈りを支援金の形で届け、一日も早い復興の手助けをしたい。そこに29日の日本代表との慈善試合の意義があると思う。
 こんなことを言える立場ではないけれども、いま大事なのは、これから生きていくことだ。
 悲しみに打ちのめされるたびに、乗り越えてきたのが僕たち人間の歴史のはずだ。とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。
 暗さではなく、明るさを。29日のチャリティーマッチ、Jリーグ選抜の僕らはみなさんに負けぬよう、全力で、必死に、真剣にプレーすることを誓う。
(元日本代表、横浜FC)

正直なところ、これを決めたのが別の選手だったらまた違う意味をもったゴールになっていたと思います。
20年前に段違いのプロ意識とパフォーマンスを持ち込みJリーグの爆発的な成功の立役者となりました。
海外でのプレーの先鞭をつけ、15年前には賛否両論あるもののワールドカップ予選を勝ち抜いたチームを率いました。
40歳をとっくの昔に過ぎたいまでも、常に代表召集される準備を怠らず、みじめにサッカーにしがみつくのではなく、堂々とサッカーをしています。

誰もが認めるサッカー馬鹿でミスターサッカー。
Jリーグを見ない大部分のサッカーファンは、彼のゴールを見たのは10年以上ぶりかもしれませんね。
だったらばこそ余計に昨晩のゴールは象徴的だったかもしれません。
「苦しい時はいつも彼が何とかしてくれる」
そんなイメージのままでいるだろうから。
彼はすでにもうそういう選手で常にいられるわけではなくなってしまっています。
それにもかかわらず、やはり期待をしてしまうのです。
そしてやっぱり彼は、見事に応えたのです。

義捐金を集めるためのチャリティーマッチは、見ている私たちの気持ちも、自然と、救ってくれました。
彼の信じたサッカーの持つ「あったほうがいいもの」としての力と、それを信じ続けて40年間ボールを蹴り続けている彼の歴史が産んだ、お金ではない、チャリティーでした。


正直に言います。
私は彼が嫌いでした。
私は横浜マリノスのファンだったから。
読売はライバルで彼はそこのスーパースター。何度も苦杯を舐めさせられたものでした。
大嫌いでした。
彼が読売を去り、海外に出てもまだ嫌いでした。
ワールドカップ本大会直前で代表落ちした時もざまあみろと思いました。
でも、気がつけばもうそんなに嫌いではなくなっていました。


さっきミスターサッカーと書きましたが、彼は「ミスター」を超えた存在です。
キングです。
KING KAZUです。

かっこよかったなぁ、カズ。

2011年3月26日土曜日

~小さな波打ち際~ 3月9日分 再掲

福岡のお祭り、といえば春(ゴールデンウィーク)のどんたく、夏の始まりの山笠、秋の放生会(ほうじょうや)です。

先の二つは全国的にも名が知れた祭りですが、最後の祭りはそうでもないかもしれません。

この三つのお祭りで博多三大祭り、と言われています。

さて、この放生会は、筥崎宮で行われます。

箱崎浜から3号線を挟んで鳥居をくぐり、参道、そして本殿のあたりまでずらりと並ぶ出店が壮観です。

いまどき、見世物小屋があるというアツいお祭りでもあります。

この筥崎宮ですが、太宰府天満宮や山笠の櫛田神社に比べて、県外の人には今一つ知名度が低い神社かもしれませんが、日本三大八幡宮とされており、きっと、神社業界的なところではかなりのバリューなのではないのかなとは思います。

さて、その神社の前に小さな砂浜があります。

その昔は松原が広がっていたらしいのですが、今となっては、左右を護岸され、目の前には高架がかかるという何とも狭苦しい景色となってしまっています。

が、いいんです、この感じ。

この神社があるのは東区なのですが、商業の天神、博多としたら、東区にはロジスティックや工場という印象があります。

そのイメージ通りの護岸工事が施された無機質な風景の中に、切り取られたかのようにある小さな砂浜が、とても違和感があり、でも大切に取ってあるという感じが伝わってくるのです。

事実、この浜の砂は、博多ではお清めに使われるなどとても神聖なもので、本当に大切にとってある場所なのです。

そして、ぼんやりする場所としても、うってつけなのです。

行ってきました。

もう日が傾いている時間帯でした。



逆光でちょっと見づらいです


左の鳥居をくぐってずーっと行くと、筥崎宮


今日も、良いぼんやりをしました。

~昨日の続き~ 2月28日分 再掲

さて、せっかくの休日、サイクリングに出かけるだけでは終わりません。

行った先、行く道すがらでお昼を食べます。

西の方に行くときはだいたい福重の麺密集地帯で長崎亭のちゃんぽんだったり横綱ラーメンだったり、しばらく福重店ですませます。

でも先日はお腹も減っていなかったこともあり、食べずにいたらランチタイムを逃し、気が付けば日が傾きかけていました。

お店に入って食べる様な時間帯でも気分でもないな、と箱崎宮近くにある台湾料理の持ち帰りの店で饅頭でも買うべく、3号線から住宅街を抜け斜めに箱崎宮へと北上していたところ、あるお店を思い出しました。

馬出と書いてマイダシと読ませる珍しい地名の住宅街+学生街(九大の医学部のキャンパスがあるのです)のなかの駐車場にあるこじんまりとしたラーメン屋です。

博龍軒というお店です。

博龍軒 中華料理屋のような外観ですが、餃子はありませんでした


福岡の豚骨ラーメンの源流となったお店としてそれなりに知られたお店です。

いままで何度か食べたことはあるのですが、ド豚骨というよりも味はさらりと豚骨で、匂いは強め、というクラシックなスープです。

ここの特徴は日清のカップヌードルのようなぺなっとした平麺です。

同じく博多の豚骨ラーメンの源流といわれる「赤のれん」も平麺なので、もともとは細麺ではなくこういう麺だったんでしょうね。

ラーメンの写真は撮ってません。

食べたり~と謳っている割には、飲食店で食べ物の写真を取るのがあまり得意ではなくて……。

精進します。

ちなみにこのラーメン屋、駐車場側ではなく、逆から入ってくると、実に渋い商店街を抜けてきます。

小さな市場というか。

むかし、団地の中や一階にこういう市場ってありましたね。

夕方4時くらい、すでにほとんどシャッターが下りていました


なんとも遠くに来た気分になりますが、天神から自転車で20分もかからない場所です。

まだまだ傍系福岡案内のネタはつきません。

~もうひとつのロータリー~ 2月27日分 再掲

温かいですね。ここ数日。

私は自転車の遠出が趣味なのですが、これくらいの気候が漕いでいて寒くもなく暑くもなく、ちょうどよいのです。

先日、いつものコースを回ったついでに気になっていた場所に足を伸ばしました。

いつものコースというのは、芥屋の海水浴場を折り返し地点にして、行きは202号線をひたすら前原まで漕ぎ、北上し、芥屋を通り、二見ヶ浦→海釣り公園→今宿→百道→大濠公園というコースです。

このコースは休みのたびに走っているので、多少バリエーションをつけて芥屋の裏山や彦山を登ったりします。

シングルスピードのフラットバーロードバイクなので、さすがに上れる勾配にも限界がありますが、なんとか登りきったあと、ノンブレーキ(ちょっとは使います)で山を下るのが大好きです。ワインディングした山道を下るスピード感と、登り切った後の爽快感とが相まって、全身を粟立てながらのダウンヒルです。

そんないつものコースをぐるりと回っても、まだ日は高く、風も気持ちが良かったので、大濠公園前を通り過ぎ、ちょっと気になっている場所へと行ってきました。

東区へと向かいました。

博多の東の玄関ともいわれる石造りのレトロで立派な白いアーチ橋、名島橋をわたります。少し上流にある西鉄貝塚線(旧宮地岳線)専用の橋もなかなかに立派で、大正ロマンというか昭和というか、なんだかそのあたりの雰囲気があります。

さて、その橋を渡り、3号線を北上します。

向かう先は香椎宮前の駅の程近くです。税務署とかあるあたりですね。

渡るのが面倒な大きな交差点があるところです。

昨年の夏前、自転車で遠出をした道すがらに不思議な場所を見つけて、以来気になっている場所です。

そこでは、ごく普通のアスファルトから、街路樹がはえてきていました。

街路樹って普通囲われていたり、歩道内に植わってませんか?


それに目を留め、ちょっと道を入ってみたらあったんです。

ロータリーが。

ソテツが密集しています


3号線から少し入った住宅街の真ん中にポツンとあります。

タクシーが休憩中なのか停まっていました。

この何気ないロータリー、見つけたとき、不思議な気持ちになりました。

清川の少し下町のような街並みとは違って、東区の少しすすけたような雰囲気そのままのロータリーは、何の派手さもなくそこにある感じがして、好きです。

大通りを車のスピードで移動していたら気が付かない、変わった植わり方をした街路樹、そしてその間の道を入ったところにある小さなロータリー。

なんだか秘密の場所のようで好きな場所です。

このロータリーを久しぶりに確認した後は、馬出にあるラーメン屋に行ったのですが、その話はまた次の機会にでも。

とにかく、天気の良い日でした。

~番外編 長崎ランタンの夜~ 2月16日分 再掲

よく晴れていますね。

そして寒い。

こんな日の日没後は、体の芯まで凍るような寒さになります。

そんな日は、おでんなんて良いですね。

おでんの種は、子供っぽいのですが、たまごが好きです。

八宝菜に入っているうずらのたまごですとか、茶碗蒸しの銀杏みたいなもので、なんとなく特別な感じのする具なんです。

閑話休題。

こう天気が良いと、ちょっとそこまでと自転車をこいででかけたくなりますが、自動車に乗って遠出をするのもなかなか悪くありません。

昨日、休みを利用して長崎まで行ってきました。

長崎の市街地までは、福岡から高速を利用して1時間半程度で着きます。

実は私の両親の実家は長崎にあり、幼少のころは春、夏、冬の長期休みのたびに里帰りをしていたものでした。

でもまあ、市街地からは離れた長崎市の辺境だったもので、長崎の街に関しては全くと言っていいほど知りません。それに小さいころは街に興味なんて持ちませんしね。

そんな長崎素人にもかかわらず、今回、ガイドブックひとつもたず、地図ももたず、長崎に行ってきました。

日中は、むかし長崎水族館だったところ、現、ペンギン水族館へ行ってきました。

当時すでに老朽化し、腰にまわすシートベルトのみの安全対策で運航していた、精神的な意味でのジェットコースターに乗ってみたくて行ったのですが、跡形もありませんでした。

それが昼にしたことです。

夜は、三連休も終わり、消化試合の様相を呈しているランタンフェスティバルを見物しつつふらふらしました。

新地中華街


眼鏡橋


そうこうしているうちに飲み屋街に行きつきました。

思案橋だか、銅座だか、そのあたりです。

実に渋い町並みで、煮締まったような暖簾だとか、色が醒めたような電飾看板がぐっと来るエリアです。
銅座の路地



まずは情報収集をしないといけないので、一口餃子の有名店、雲龍亭で一口餃子を山盛り頼んで、ビール、焼酎お湯割り。

雲龍亭の一口餃子の小山


焼き色の付いたところがサクサクしていて、白いところはしっかり蒸されてふんわりしてます。面白い薬味があって、ゴマ油漬けのおろしニンニクというしろもの。無難に赤柚子胡椒。絶品。

お店の兄さんに、この近辺で古くて、でも気軽な飲み屋は無いかと聞いて紹介されたのが、おでんとおじやのお店。

おでんのお店、桃若


縄のれん!

おでん鍋のまわりをL字型のカウンターが囲み、話好きな大将とおかみさん、38歳の息子さんで切り盛りしているおみせでした。

大将も元々はこのお店の常連で、サラリーマンだったけれど、気が付けばお店を継いで三十余年だそうです。

長崎生まれの長崎育ち、還暦も過ぎた私の父が若い時分ですでに、歴史を感じさせる店だったというこのおでん屋さん、味の染みた練り物がしみじみうまいお店でした。

なにをいまさら、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、長崎、良い街でした。

思ったよりも近く、魅力ある飲み屋街もあって、好きになりました。

ただ、酒を飲んでしまうと連休でもない限り、翌朝、高速を飛ばす羽目になりますので、くれぐれも計画的に。

~ビルの谷間の小神社~ 1月31日分 再掲載

24時間で80センチの積雪だとか、100台の車が雪に閉じ込められ立ち往生だとか、とんでもない寒波のニュースが流れているなか、福岡もかなり気温が下がっています。

でも、ひなたはぽかぽかと気持ちが良い日です。

お昼ごはんに、と出かけたら思わず美野島方面へ散歩してしまい、そのまま住吉通りをぐるり。

大きく回って大博通りから祇園の交差点を曲がって博多警察署を通り過ぎ、中洲の方へと抜ける道へ入り……と、ちょっとお昼、にしては長めの散歩をしてしまいました。

今日の散歩コースの最後は小さな神社でした。

こんな感じの鳥居です


案外知られていないのですがキャナルシティのすぐそばにちいさな神社があるんです。

下照姫神社といって、縁結びの神様です。

かなりこじんまりとした敷地です


普通の縁結びの神様よりも強力というか大らかというか、細かいことは気にしないというか、不倫だろうがなんだろうが、縁結びを願ってよい神社らしいです。

飲み屋で耳にした適当な話なので真偽のほどは知りませんが、道ならぬ恋を成就させたい方は、お参りしてみてはどうでしょう。

さておき、この神社そのものがどうこう、というわけではないのですが、普通の建物に挟まれて神社があるという光景がなんだか面白くて好きな場所です。

東京の将門塚に比べると、その非日常性はだいぶん薄いのですが、実際に目の前にあると、ほう、となりますよ。

実は私、今年の初詣をまだしていないので、お参りをして行こうかと思ったのですが、どうせなら大きな神社に行った方が御利益がありそうで、今日は鳥居をくぐらずに通り過ぎてきました。

ここを通り過ぎたら、近道の雑居ビルの中を通り抜けて、

古いロータリークラブのビル。床がリノリウム。良い年の取り方をしたビルです


キャナルシティに到着です。

~美野島商店街~ 1月26日分 再掲

冷え込みの強い日が続きますが、昨日もその例にもれず、日は朝にほんの少し差しただけの、どんよりと曇り、小雨が時折ぱらつく何とも冬らしい一日でした。

天気が良かったら志賀島まで出かけて、志賀島の漁協センターで海鮮丼でも、と思ったのですが、冷えたネタが乗った海鮮丼なんて食べる気も起きませんでした。

それならそれで、ゆっくりと過ごせばいいものを、せっかくの休みに何かしなくては、と貧乏性が頭をもたげてきて

寒風吹きすさぶなか、自転車にまたがり出かけたわけです。

特に用もないのに美野島商店街まででかけてきました。

場所をざっと説明します。

博多駅の博多口を背に、大通りを左手にぐるりと天神まで行く道があります。

その途中に、大きな住吉神社という神社があります。そこから大通りをはさんでそのままずっと入って行ったあたりが美野島というエリアです。

細い道と古い建物、ごちゃごちゃした感じの三拍子そろった、商店街とはかくあるべき、という手本のような商店街があります。

私がその美野島に、そんなに急ぎでもないときには必ず通って行く道があります。美野島から那珂川(中洲の川です)を挟んだ向こうのエリア、清川にポツンとあるロータリーです。

ランナバウトとかも言ったりするアレですね。

清川ロータリー


以前はこんなに派手な蛍光塗料ではなく、虎柄だったんですが……。

すこし情緒が無くなったような気もします。

立ち飲み屋があって、煮締めたような飯屋があって、写真を写している立位置にはパチンコ屋があります。

そんな街並みにいまどき見ないロータリーというのが、とても自然な感じがして好きな場所です。

さておき、この写真の奥の方に行くと那珂川があり、人車共通のすこし細めの橋がかかっています。

そこから右手の川上の方へと行くと、商店街でも一番にぎわっているあたりに行きつきます。

昨日の昼ご飯はその商店街の中でも歴史を感じさせる「かどや食堂」でかつ丼大盛り530円(普通は480円)をいただきました。

かどや食堂 ごく普通の持ち帰りもできる食堂です


ちょっと携帯で撮った写真なので水平がおかしいですね。目が回る……。

それはさておき、かつ丼ですが、よくある程度に薄手のカツに、博多ではよくある感じの甘めの味付け、そしてなぜか同じ甘辛い感じで煮てあるタケノコの刻んだのが入ってました。

おみそ汁とたくあんつき。

商店街の食堂ですから、美食!ってわけではありませんが、リアルな博多の味付けが感じられますよ。

盛りも良いし、悪くないです。

ひとりで飲み歩いたり、遊び歩くことを覚えたばかりのころ。

こういうたたずまいの店で何気にご飯を食べたり、昼酒を決めるのが格好良い、と粋がっていたころ。

たまに来てました。

みんな、経験あるんじゃないですか?

そういう背伸びの経験。

個人的に、そういう甘酸っぱさもこもった福岡のお勧めスポットです。

栗原

~大名老舗中華料理店の話~ 1月24日分 再掲

先日は、天神から離れたところのお話をしました。

今日は、天神から、西通りを挟んだ西側のエリア、大名のお話です。

BEAMSやSHIPS、もう移転してしまいましたがUNITED ARROWSもあったり、ナイキショップやアディダスのブティックなどがある、イマドキのエリアです。

全国的に知られたラーメン屋、一風堂の本店、一幸舎の本店などもこのエリアにあります。

そこをもうすこし奥に行くと、紺屋町通り、という小さな商店街のような通りがあります。

ここが大名のメインストリートです。

いまでも昔からの商店街テイストを残しており、精肉店、和菓子屋、メガネ店、セルフ式の食堂などが洋服屋、雑貨屋などと並んでいます。

福岡いちばんの老舗百貨店、岩田屋が西通りに新館をオープンした15年くらい前あたりから、大名にお店が増えはじめました。

それまで福岡のにぎわいの中心は、もっと北東にありました。

生まれも育ちも大名っ子という知人がいます。バーのカウンターの並びでしか会ったことのない知人なのですが……。

曰く、30年前は、西通りでボール遊びができた、道路にチョークで丸を書いてケンケンパをしてた、ゴム飛びもやってた、というくらい時間帯を選べば車の通りも少ないエリアだったそうです。

そんなに前のことはさておき、大名の街は、天神が膨れ上がるにつれ、西の方までどんどんとお店が増えてきました。

細い道に立つ古い木造やぼろい鉄筋コンクリートのアパートの一室を、資本も何もない若い人たちが工夫を凝らしたショップや雑貨屋、レコード屋、美容室に改造して、なんというかとてもワクワクした空気に満ちたエリアでした。

大名の奥のほうなんて、パン屋と居酒屋しか目印が無いくらいでしたが、いまではいろんなお店が立ち並んでいます。

そんな創意工夫と若いエネルギーに満ちた街も、需要と供給のバランスで上がり続ける家賃、福岡西方沖地震によって、倒壊や取り壊しを余儀なくされた激安アパート群の後に建った瀟洒なビルの目が飛び出る様なテナント料によって、その様相を変えつつあります。

そして、そんな常に変化の中にあった大名の真ん中で45年間、愛され続けてきた中華料理屋があります。

一宝軒です。

Google Street Viewよりキャプチャ


どういう事情かはわかりませんが、今月いっぱいでお店を閉めます。

大衆中華のお店でした。

ホルモン鉄板や、ニンニクがグイッと効いた焼餃子、ほんのりと甘みのある鶏の唐揚げがおいしく、私も、飯屋としても飲み屋としても何度も利用した店です。

夜2時3時くらいまでやっていたのもありがたかったです。

しこたま飲んだ帰りに、豚骨は重すぎるからと、ここのラーメンを食べて、馴れない麺のかん水の匂いに胃を引き攣らせたのもいい思い出です。

月末の閉店まで、醤油ラーメン300円、餃子200円、飲み物半額など、閉店セールをしています。

近頃行ってないし、もう最後だから、でもいいです。

あそこ昔からあるけど入った事無かったんよね、でもいいです。

まだ福岡に出てきたばかりだけどそんなセールやってるんだ、でもいいです。

消え行く大名のランドマークに立ち寄ってみてください。

ただ、10年くらい前かな、立て替える前の方が好きだったなぁ。

厨房を囲んだカウンターと古ぼけた小上がりは、10代の私が気張らずに外食できる貴重なお店でした。

写真、無くてすみません。

昨日、仕事が終わった後に、唐揚げと餃子、ビールで晩酌をしたのですが、なんだか、気恥かしくて、そしてさみしくて写真を撮れませんでした。

さよなら、一宝軒。

2011年3月24日木曜日

~渡辺通 三角市場~ 1月22日分 再掲

minorityrevのブログの中で、ひとり洋服の事を書かず、完全に浮いていたので、引っ越しました。

まずは過去の記事の再掲載。

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出張族に人気の都市といえば福岡と札幌、とよく褒められる街でありながら、このブログに地元の情報が無いのはいかがなものか。

そう思ったらすぐに実行!です。

不定期ではありますが、私、栗原がふらふら出歩いて食べたもの、見たものをアップしていきたいと思います。

私はどちらかというと夜行性なので、どうしても夜の話題が増えるかと思います。

そして第一回目から昨晩行った飲み屋の話です。

昨日の仕事が終わり、そういえば住吉橋 (中洲にわたる川沿いを川上に上っていくとある、赤い橋) のあたりに、ここ1ヶ月くらいで出来た新しいしゃれたお店があったな、と行ってみたものの、中はカップルでいっぱい。

男一人でという雰囲気でもないので、あきらめて、ふらふらと薬院へ向かいました。

薬院は西鉄電車で天神の隣の駅です。

一駅とはいっても、そんなに離れてもなく、歩いてもせいぜい10分程度の距離です。

そんな薬院駅からほど近いところに、三角市場と呼ばれる古い木造のアーケードがあります。

ちょっとよそから画像を借りてきます。



昭和レトロなアーケードですね。

トイレは共同がひとつ、写真の突き当りのところにあります。

刀削麺の店、大陸系の中華料理店、小料理屋、音楽系のバー、こだわりの日本酒の店などなど、バラエティあふれる飲み屋街です。

市場と名前はついていますが、いまとなってはそれも名ばかりの飲み屋街です。

博多うどんの有名店、因幡うどんもここにあります。

昨晩は、つけ串のお店、安愚楽にお邪魔しました。



こんな具合にカウンターに、味噌味のもつ串がずらりと並ぶ鍋が置いてあります。

最初の一本はお店の人が入れてくれますが、後はヘルプユアセルフ。

つまり勝手に取って食え、方式ですね。

あとで串の数で勘定してくれます。

センマイと小腸とハツと小腸という構成の串です。

ふわふわとした腸の脂が口に入れるとヒュッと溶けてなくなります。

ネギと柚子胡椒でどうぞ。

北部九州の味、柚子胡椒ですが、私は個人的にちょっと使いづらいと思ってます。

塩がかなり強いので、薬味の気分で使うと、風味以上に塩加減まで変わってしまうのが残念です。

福岡の人はそれを当たり前だと思っているので、だれにも同意してもらえません。



さておき、お酒の話をしましょう。

やっぱりモツに合わせるならガツンと焼酎、と思ったのですが、年末年始と休みなく酷使されている肝臓をいたわって、日本酒にしました。

福岡のお隣、山口県のお酒「貴」をいただきました。

以前どこかで飲んだ記憶では、味の濃い強いお酒だったので、頼んでみたら正解。

でも、二合だけでやめておきました。

お酒も回っていい塩梅になったところでモツ串の煮えている鍋の汁で雑炊を作ってもらいました。

チーズも入っていて、味噌とチーズはあうなぁと思った次第です。発酵物は発酵物と合うんですかね。

じゃあ帰ろうかなと12時にお店を出てみたら、そとは結構な寒さでした。

あんまりにも寒いので、道草をして、警固のバーでホットバタードラムを飲んで帰りました。

つまみに干しブドウがほしいとマスターに言ったら、隣の人がベビーチョコをくれました。

そんな大寒の夜でした。

栗原