さて、世の中は、3週間くらい前に大地震が起きて以来というもの、なんとなく沈んだムードです。
当然です。
地震が起きて、原発がおかしくなって、色々な専門家がテレビに出て、ネットで記事を書いて、いままでまったく知らなかった色々な情報に触れました。
そして、そういう情報や知識に触れれば触れるほどに、気は重くなります。
天災に対し恐れ、人災に対して怒りを感じます。
ポジティブな気持ちが塗りつぶされます。
3月29日、昨日の夜、サッカーの試合がありました。
国際Aマッチでもないチャリティーマッチでした。
日本代表とJリーグ選抜メンバーの試合でした。
試合は、日本代表が前半に2点、立て続けに得点しました。
そして後半、川口の正確無比なロングフィードを闘莉王が奇跡のようなコントロールで頭で落とし、走り込んだ選手が蹴ったボールは、全盛期のティエリー・アンリのシュートの軌道のようにキーパーの脇をえぐり、その真後ろのネットにストンとおさまりました。
破顔一笑、彼は長居スタジアムのトラック前まで駆け出し、トレードマークであるダンスを踊り、人差し指を突き上げました。
震災以来の自粛ムード、テレビの中で白い歯を見せるだけで不謹慎とテレビ局の電話が鳴るような、息の詰まる毎日。ようやくそのムードも落ち着いてきたけれど、まだまだ何かおっかなびっくりの毎日でした。
だからでしょうか、その笑顔に、引き込まれました。
そして今日、twitterで知った記事があります。
それは日経新聞の3月25日の記事で、その選手の談話が載っています。
このたびの大震災の被災者の方々に、心からお見舞いを申し上げます。被害に遭われた方々にとって、この2週間が、その1分1秒が、どんなものだったかを思うと、おかけする言葉も見つかりません。
生きているとはどういうことなのだろう、サッカーをする意味とは何なのだろう。そういったことを見つめ直さずにはいられなかった日々のなか、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」ということ。
試合がなくなり、見に来る観客がいなければ、僕の存在意義もない。プロにとってお客さんがいかに大切か、改めて学んでもいる。
サッカーをやっている場合じゃないよな、と思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。医者に食料……、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。
でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。
未曽有の悲劇からまだ日は浅く、被災された方々はいまだにつらい日々を送っている。余裕などなく、水も食べるものもなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みは2週間では癒やされはしない。
そうした人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削る思いで必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らの方が勇気をもらっているのだから。
サッカー人として何ができるだろう。サッカーを通じて人々を集め、協力の輪を広げ、「何か力になりたい」という祈りを支援金の形で届け、一日も早い復興の手助けをしたい。そこに29日の日本代表との慈善試合の意義があると思う。
こんなことを言える立場ではないけれども、いま大事なのは、これから生きていくことだ。
悲しみに打ちのめされるたびに、乗り越えてきたのが僕たち人間の歴史のはずだ。とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。
暗さではなく、明るさを。29日のチャリティーマッチ、Jリーグ選抜の僕らはみなさんに負けぬよう、全力で、必死に、真剣にプレーすることを誓う。
(元日本代表、横浜FC)
正直なところ、これを決めたのが別の選手だったらまた違う意味をもったゴールになっていたと思います。
20年前に段違いのプロ意識とパフォーマンスを持ち込みJリーグの爆発的な成功の立役者となりました。
海外でのプレーの先鞭をつけ、15年前には賛否両論あるもののワールドカップ予選を勝ち抜いたチームを率いました。
40歳をとっくの昔に過ぎたいまでも、常に代表召集される準備を怠らず、みじめにサッカーにしがみつくのではなく、堂々とサッカーをしています。
誰もが認めるサッカー馬鹿でミスターサッカー。
Jリーグを見ない大部分のサッカーファンは、彼のゴールを見たのは10年以上ぶりかもしれませんね。
だったらばこそ余計に昨晩のゴールは象徴的だったかもしれません。
「苦しい時はいつも彼が何とかしてくれる」
そんなイメージのままでいるだろうから。
彼はすでにもうそういう選手で常にいられるわけではなくなってしまっています。
それにもかかわらず、やはり期待をしてしまうのです。
そしてやっぱり彼は、見事に応えたのです。
義捐金を集めるためのチャリティーマッチは、見ている私たちの気持ちも、自然と、救ってくれました。
彼の信じたサッカーの持つ「あったほうがいいもの」としての力と、それを信じ続けて40年間ボールを蹴り続けている彼の歴史が産んだ、お金ではない、チャリティーでした。
正直に言います。
私は彼が嫌いでした。
私は横浜マリノスのファンだったから。
読売はライバルで彼はそこのスーパースター。何度も苦杯を舐めさせられたものでした。
大嫌いでした。
彼が読売を去り、海外に出てもまだ嫌いでした。
ワールドカップ本大会直前で代表落ちした時もざまあみろと思いました。
でも、気がつけばもうそんなに嫌いではなくなっていました。
さっきミスターサッカーと書きましたが、彼は「ミスター」を超えた存在です。
キングです。
KING KAZUです。
かっこよかったなぁ、カズ。